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執筆者の写真S Mikaze

長崎の廃墟探索

 こんにちは、Mikaze です。


 皆さんお元気に過ごしていましたか。

 旅を終えてからずいぶん月日が経ちました。筆者は、故郷に帰ってからしばらく仕事に勤しんでいましたが、この旅の記録を、ふと宝箱の蓋を開けるような気持ちで思い出しました。自分一人で大事にしまっておくにはもったいなくて、埃を払って世に出さなければいけないという使命感に駆られたのでした。


 さて、今回ご紹介するのは、長崎県の廃墟です。

 長崎県には、森の茂みに囲まれて、廃墟が点々と取り残されています。

 廃墟には長く刻まれた歴史が詰まっていますが、難しい説明はほどほどにして、美術的な観点からこの廃墟についてお話したいと思います。


 

. 荒海に臨む片島公園

                         片島公園の川棚歴史遺産 空気圧縮ポンプ室跡


 長崎のちょうど真ん中あたり、海に面した片島公園にやってきました。

 ここを訪れた時、風が唸りを上げて吹き荒れる嵐の中でした。

 なぜこんな日にやってきたのかと不思議に思うかもしれませんが、行きたい場所があったら雨の日も風の日も行きたくなる性分なのです。

 片島公園のある川棚町は太平洋戦争当時、旧日本海軍の重要な軍事施設がありました。この片島には魚雷発射試験場が設けられ、佐世保海軍工廠などで製造された魚雷の発射試験が行われていました。

 映画「祈り」で、空浮圧縮ポンプ室跡が原子力爆弾投下後の浦上天主堂のロケ地としても使用されました。今この公園は、川棚歴史遺産となっています。

 ここは、空気圧縮ポンプ室の跡です。


                                  海に突出した魚雷発射場跡


 吹き荒れる波の向こう側には、突堤が出ており魚雷発射場跡が見えています。

 しかし、風が強すぎて近づけそうにありません。


 仕方がないので、圧縮ポンプ室の内側に周ってみました。

 こちら側からなら、風も少々弱まっているので傘をさすことができます。




                              植物の覆う窓


 石造りの内部では、植物が溢れ出るように成長していました。

 ここは、1918年(大正7年)に開設され、佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所で製造された魚雷の発射試験が行われました。

 ポンプ室周辺の施設の中で、魚雷の最終試験や調整などをしていたのではないかと言われています。


 少しの時間光が差し込みました。

 昔のことなど何事もなかったかのように平和な光が降り注ぎ、古びた外壁に淡い影を落とします。鮮やかな生命の緑がモノクロの世界に突如現れたようで、絶妙なコントラストを生み出しています。




 やはり、波の荒れ狂う向こう側には近づけそうにありません。

 危険な匂いが漂っています。


  公園の内側に入り、雨風凌げる木々の小道を通ることにしました。


                                     雨に濡れるどんぐり


 階段上の小さな柱の窪みに、どんぐりが転がっていました。雨に浸ってツヤツヤしています。自然に落ちてきたのでしょうか?それとも、誰かが置いて行ったのでしょうか。


                                    森に溶け込む貯水槽跡


 暫く雨粒に浸った木々の間を歩いていくと、少し開けた場所に辿り着きました。


 地面に埋もれるように植物と一体化している四角形の建物は、貯水槽の跡です。


 苔むしたそれに近づいて中を覗き込みます。

 特に何にもありませんね。


 貯水槽跡を通り過ぎて、小高い山の上にある観測所跡へ向かうことにしました。

 しばらく山道を歩いていると、風のひどく吹き荒れる音が広がり、木々がユッサユッサと揺れていて、その隙間から大海原が見えました。

 地平線は真っ白で、波が大きく打ち寄せているのが遠目でも分かります。

 本当に、どうしてこんな日に来たんだろう。自分でもよく分かりません。


 丘の上に、茂みに囲まれたいかにも怪しい建物が現れました。

 これが、観測所跡です。


                                       観測所跡の内部


 内部はもちろんガラガラなのですが、無数の新しい落書きが異彩を放っていました。


 さて、一通り散策したので帰り道をさくさく歩きます。

 おや、ここでもまたどんぐりがいっぱい落ちています。

 それも艶やかで美しいです。ここは隠れたどんぐりの産地なのでしょうか?


                              艶やかでおおきなどんぐり


 すこし回り道をして、最初に見た空気圧縮ポンプ室の跡を違った角度から見てみることにしました。後ろに回り込んで見ると、石造りのボックスに木々が芽吹き、ちいさな箱庭のように感じられます。


 最後に魚雷発射場跡を覗いて。

 もうここが限界でしたが、アーチ状の渡橋まではっきり捉えることができました。






. 森に隠された要塞

 日が変わって、青空の突き抜ける素晴らしい1日。


 やってきたのは、佐世保市の俵ヶ浦町。

 佐世保藩にまつわる史跡の数々を探索していきます。下町の沿岸に車を置いて、ここからは徒歩で出発。


                            『旧佐世保軍 要塞小首堡塁跡』の入り口


 Googleマップで検索すると、実に分かりにくい場所。

 ちょっとずれた場所というか、標高が違うから難しいというか…迷い考えながらやっとのことで辿りついた場所です。徒歩でしか行けそうにない薄暗い山の荒れ道を登っていくと、突如茶色い立派な看板が現れます。

 もう見つからないか…と心折れそうな矢先に発見しました。今振り返れば、まったくこんな場所に一人で行く勇気があった自分に驚きです。

 ともかく希望を失わなければ、ひたすら歩いているときっとあなたも発見できるはず。


 看板の先にある開けた道を進みます。


 わぁ。

 しばらくすると、異世界に迷い込んだような気持ちにさせてくれる、素敵な門柱が出迎えてくれました。


                                 森に隠された要塞小首堡塁跡


 さらに奥へと進むと、手付かずの森に隠されるようにひっそりと佇む不思議な建物。

 これは、最初の看板に書いてあった旧佐世保軍要塞小首堡塁跡です。


 小首堡塁は佐世保軍港を防備する佐世保要塞に属する砲台として、明治33年(1900年)に築かれました。

 この北側には丸出山堡塁という砲戦砲台があります。それと同じく接近する敵艦船との長時間の砲戦を想定した砲戦砲台です。装備は克式35口径中心軸24cmカノン砲4門(日清戦争の戦利砲)を主兵装とし、副兵装として佐世保港口に設置した機雷を援護するため、克式35口径前心軸15cmカノン砲2門を装備しました。


 しかし、他の砲台と同じく実践を経験することはありませんでした。

 昭和12年(1937)に24cmカノン砲が廃止撤去されましたが、砲台そのものは太平洋戦争開戦後の昭和17年(1942)に15cmカノン砲が撤去されるまで存続したそうです。


 ここは、掩蔽部(えんぺいぶ)にあたる場所です。

 まだ入り口付近で、ここからさらに奥へ行くと弾室や観測所があり、24cmカノン砲座の跡もあります。

 しかし、これ以上は草木が濃く生い茂っており、人が立ち入った形跡もなかったので筆者はここで断念。歴史に興味深く先に進みたい人は、藪の中を進むような覚悟が必要だと感じました。






. 九十九島の映える観測所

                                   道中、廃棄されていた車


 次に向かうのは、同じ俵ヶ浦町の丸出山堡塁跡と観測所跡です。

 山道を悠々と歩いている途中、廃棄されたモノたちが緑に覆い尽くされているのを見かけました。これもまた廃墟の一端でしょうか。


 一見とても分かりにくいですが、右下に『佐世保要塞砲台群 丸出山観測所跡』と書かれた小さな看板があります。これが行き先の目印です。

 さあ、矢印に沿って前に進んで行きましょう。


                                    丸出山堡塁跡に到着

 

 ここは、旧陸軍佐世保要塞の丸出山堡塁跡です。

 佐世保軍港を防備する要塞に属する砲台として明治34年(1901)に築かれました。長時間の砲戦を想定していた佐世保要塞の中では主力となる砲戦砲台だったようです。

 この近辺には、直射砲である克式35口径中心軸24cmカノン砲4門(日清戦争の戦利品)の跡や、曲射砲である28cm榴弾砲4門の跡があります。

 さらに設けられていたといわれる28cm榴弾砲用の観測所があるのですが、今回はそこに向かいます。


                                     丸出山観測所の下部


 要塞小首堡塁跡から、山道を1時間ほど歩いて観測所の下に辿り着きました。

 この要塞は、日露戦争や第一次世界大戦において戦闘配置につきましたが、実践を経験することはなく昭和12年(1937)に24cmカノン砲が除籍撤去され、28cm榴弾砲は訓練用の演習砲台として使用されたのち、太平洋戦争終戦後に撤去されたそうです。

 赤いレンガ造りの建物がそのままの姿で遺されていますね。



 さて、ここまでの道のり中々辛かったのですが、最後に階段が待ち構えています。地面に隠れるようにして造られているのは、実践時に敵に見つからないための工夫だと想像できるでしょう。


                                        観測所 上部


 観測所に到着しました。

 錆び付いてボロボロですが、なんだか秘密基地のようで…いや、本物の秘密基地ですね。味が出ていて、好奇心が燻られます。


 中のちいさな穴から外を覗くと、なんと九十九島が見えるじゃありませんか。




                                  観測所から眺める九十九島


 これは想像していなかった嬉しい景観です。

 前方に広がる大空と青い海、そこに点々と浮かぶ小島の数々。

 この景色を独り占めできるのが、とても贅沢に感じました。

 戦時はここから敵艦隊を捉える予定だった景色が、今では見事な自然景観を魅せる場所となっているのは、なんとも感慨深いものです。







まとめ:朽ちゆくものの美

                                    冷水岳公園からの展望


 最後に、九十九島を広く展望できる冷水岳公園に行ってきました。

 九十九島とは佐世保港から北へ25km、平戸瀬戸まで連なる大小208の島々のことをいい、島の密度は日本一といわれています。平戸諸島、五島列島などの外洋性多島群とともに、日本本土最西端の海の国立公園に指定されています。

 この冷水岳公園は九十九島の絶景ポイントの八景に認定されています。

 西側の大海原に島々が、北側には長串山や大観山の峰々を見渡すことができるので、360度絶景の広がる展望台でした。

 春には、ツツジの花が一面に咲き誇ります。

 そして目下に見えるモザイクタイルの白い鳥は、ツルです。九十九島の上空はツルの北帰行(1月下旬〜3月末)の通過点なのだとか。 天候など条件が良ければ、観察することができるかもしれませんね。


 さて、今回は長崎県にて、佐世保軍の軍事施設の廃墟を探策してきました。歴史的にも貴重な価値のある施設ばかりでしたが、この跡が現在もほぼそのままの形で遺されていることに驚きました。

 中には、人の保護などがほとんど見受けられないまさに廃墟と呼べる場所もあり、嬉しかったです。

 建造物は、建てたその瞬間から時を得て朽ち果てる運命にあります。建造物がその用途をなくし世間から忘れ去られた時、同時に偉大な自然に取り込まれ新たな造形がつくられていきます。筆者は、その人工物と自然物の融合している様に命の綻びを見るような儚さと繊細な美しさを感じ、魅了されてきました。

 長崎県には、このような数々の廃墟が取り残されており、一見の価値が充分にあります。

 しかし、永遠にその状態を保っていることは決してないですから、そこに足を踏み入れたなら存分に空間に入り込んで頂けると良いかもしれません。


 それでは、今回はここまでです。

 またお会いしましょう。

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